続いて、江田島市内各地を舞台に

繰り広げられた多彩なメニューをご紹介♪


江田島ならではの海風景を満喫しながら、親子でカヌー!

江田島市南東部にあるビーチ長浜で開かれた

『こどもと全力で遊ぶ嶋愛ちゃんといく、

親子カヌー体験』。





地元カヌークラブの人たちの手ほどきを受けながら、カヌーに挑戦!



ライフジャケットを装着し…
パドルの使い方も練習して…
いざ海へ!

この日は砂浜に押し戻されそうになるほど海面には

高い波が立っていましたが、親子でパドルを全力で

動かし、牡蠣いかだの見える沖合を目指しました。



江田島市外から参加し、
日ごろ触れる機会のない
江田島の海やマリンスポーツに
刺激を受ける親子も

「初めてのカヌーで、進む向きを安定
させるのが難しかった」

「海の水が透き通っていて、いかだ近くで
牡蠣殻をはっきりと見ることができた」

といった感想が寄せられました。


身体を動かした後は、特製ランチを堪能!

江田島の人たちが料理した焼き牡蠣や牡蠣フライ

                   

牡蠣尽くしのランチを楽しみました


春先の江田島で海水浴⁉解放感たっぷりのビーチを満喫!

江田島の海を楽しんだのは、親子連れ

だけではありません。

江田島市南西部にある茶臼山ビーチ

晴れた日には青く澄んだ海面を眺められる

スポットですが、この時は3月初め。

海水浴なんてとんでもない!といった

水温なのですが…


ここで、ドライスーツにお着がえ。


ボディースーツのようにフィットしていて、
海水が中に入らない
海に入っても…『冷たくな~い!』

マリンスポーツ体験の提供で人気の

『BOON江田島店』の木原江美さんの

手ほどきを受け、沖まで泳いだり
海面に身体をプカプカ浮かせてみたり…

『ドライスーツで入ると、身体を浮かせやすかった』
との感想が寄せられました。

サウナーの方には、こちらもおすすめ。

砂浜に設置されたテントサウナで
〝ととのえた〟後、海に入れば
天然の水風呂気分も味わえる!

広島市内からSUP体験などのために

時々江田島に来ているという参加者からは、

「江田島には夏のシーズンにばかり

来ていたけど、寒い時期にも海を楽しむ

ことができた」と、江田島の海での新たな

遊び方をおぼえてご満悦の表情でした!


近代の軍事建築物を舞台に…大人たちの集うBAR



自然資源の海に続き、ここからは歴史資源を

生かしたメニューもご紹介!

まずは、沖美町の三高山へ。

日露戦争前にロシアの
バルチック艦隊の広島湾
侵入を防ぐために、
旧陸軍によって築かれた
砲台の跡地があることで知られる

120年以上前に山中に築かれた要塞の

面影を残すエリア。

標高400メートルの山頂から
広島湾・安芸灘を望める
ロケーションでも人気の
エリアなのです

レンガ造り遺構など近代土木技術を

伝える空間の中で開かれたのが

『YAMA-BAR @三高山砲台跡』。

会場は『兵舎跡』
中はこんな感じ。
もともとの空間の雰囲気を
生かしつつ、BAR仕様に
アレンジされた会場
さらに会場を彩ったのは、
江田島荘シェフによる
こだわりの地元食材を
生かした和フレンチ料理
「中世ヨーロッパのお城に来たみたいで
神々しい」という声も上がるほど
非日常感たっぷりな空間で、乾杯!
「自粛生活が続く中おしゃれをして
いろんな人とお話する機会が
減っていたので、とても楽しい」との声も。

江田島市の歴史の一端に触れられる会場で

在りし日に思いを馳せながら交流し、

地元食材を生かした食に親しむ…

江田島色を取り入れた大人の社交場が

出来上がっていました。

築100年超の旧旅館内部を見学しながら、江田島の偉人たちについても学ぶ

続いて、大柿町大原の築100年超の古民家へ…

江田島市唯一の割烹料理店『割烹大学』裏にたたずむ

元旅館だった建物が舞台になります。

お庭側からの撮影した外観の一部

棟札に『慶應』の年号があり、

母屋に関しては150年ほど

経っているのではないかと推測されるとか…

そして、漆喰壁の応接室や蔵を

改装してつくられた客間があったり。

天井裏の構造も見学したり…
大広間部分には、船大工が施工したといわれる船底天井も

百年を超える歴史を残す建物ですが、

地元では『みはらし旅館』の名前で

昭和30・40年代を中心に観光客を多く

招き入れていた場所として広く

知られています。


空き家となっていたこの趣ある古民家の活用を

所有者と模索した末、管理を任された

江田島市地域おこし協力隊体験型観光推進員の

塚田忠則さん曰く、今後は市内の民泊受け入れ関係者の

学習の場などとして使われる方向性が検討されているそう。


えも博期間中は江田島市の歴史に触れる資料や

コレクション類を展示するギャラリーに変身。

東京帝国大学を休学療養中に
能美島・中町に滞在した経歴のある
小説家・児童文学者、鈴木三重吉
(1882年~1936年)が創刊し、
日本の児童文学に大きな影響をもたらした
雑誌『赤い鳥』などの資料がズラリ
フィルムカメラや大正・戦前時代からの
アサヒグラフのナンバーなども並ぶ
江田島市内の人気店のスイーツもいただきながら、
コレクションを観察したり、地元の歴史に
ついて理解を深めたり。

さらに期間中はフィルムカメラやトレイル関係者を

ゲストに迎えた講演会もあり、いろいろなジャンルの

学びの場にもなっていたそうです。

これからの建物の活用に、大きな期待や関心が

寄せられるきっかけになったのではないでしょうか。